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鈴木 康弘(すずき やすひろ、男性、1987年11月25日〔ロンドン五輪 Sports@nifty〕 - )は、日本のアマチュアボクシング選手。北海道札幌市出身。2012年ロンドンオリンピック・ウェルター級日本代表〔。 陸上自衛隊に所属する自衛官で、自衛隊での階級は3等陸尉。自衛隊体育学校ボクシング班所属。右フックを武器とする〔鈴木 康弘先輩 ロンドン五輪へ 拓殖大学ボクシング部ブログ 2011年10月11日〕。 == 来歴 == 小学校時代、スポーツは得意だったが、ひ弱な風貌と優しく気が弱い性格が災いし、学校帰りに10人ほどから集団リンチのような暴行を頻繁に受けていた。強くなりたいと願い、小学校4年生の時、地元・札幌市豊平区に赤坂義昭が開設したジムに入門し、プロ志向の大人たちとスパーリングをしていた。中学時代は転居のためにジムに通えなくなったことからバスケットボールをした。高校はボクシング部のある札幌商業高校(現在の北海学園札幌高等学校)に進学し、ボクシングを再開。高校1年の10月、デビュー戦となった市民大会にKO勝利を収め、2年で国体準優勝〔第60話 ヒーローはある日突然現れる ボクシング 鈴木康弘 自衛隊体育学校web〕。3年になると選抜選手権、インターハイ、国体で高校3冠を達成した〔〔。 特待生として拓殖大学に進学し〔、全日本選手権・国体準優勝。主将も務め、大学日本一に導いた〔。 当初は川内将嗣と同じライトウェルター級で戦っていた。大学2年のリーグ戦最終戦をきっかけに小学校時代以来のスタイルを変え、リーチを生かしたアウトボクシングを基本としたが、インファイトに持ち込まれても対応できるハードパンチを持っていた。大学時代最後の国体となった新潟国体の決勝では川内に敗れたが、この試合で鈴木のパンチの威力に注目した自衛隊体育学校ボクシング班指導陣から、ウェルター級に転向してもっとパワーをつけ、オリンピックを目指さないかと声を掛けられ、鈴木は体育学校に入隊した。体育学校には、川内を始め、清水聡、須佐勝明らがいた〔。 入隊1か月後の2010年5月、練習中に右腕神経と動脈を切断する重傷を負い、活動停止を余儀なくされるが〔ボクシングで世界を凌駕する! オリンピック王 鈴木康弘氏 ヒーローズインタビュー 2012年6月21日〕、その間に背筋、肩などを徹底的に強化した。2011年4月に行われた全日本選手権北海道予選で復帰したが、この時はウェルター級の相手がいなかったため、ライト級の選手と戦った〔。 2011年7月、ウェルター級での初の公式戦となったインドネシア大統領杯では決勝でロシアの選手に敗れ、銀メダルを獲得〔。日本国内でのウェルター級デビュー戦となった世界選手権選考会で優勝し、同年10月世界選手権に出場。3回戦で敗退となったが、その相手が決勝進出を果たしたためロンドン五輪出場権を獲得した〔ボクシング、鈴木が五輪出場決定 世界選手権 47NEWS 2011年10月8日〕。 同年の全日本選手権で初優勝した〔ボクシング 鈴木康弘選手 ロンドンオリンピック出場決定 拓殖大学 2012年4月25日〕。 2012年7月29日、ロンドンオリンピックに出場。モロッコのメヘディ・ハルシを僅差の判定で下し、勝利した。2012年8月3日、2回戦でカザフスタンのセリク・サピエフと対戦、判定で敗れて8強入りはならなかった。サピエフはこの大会で金メダルを獲得した。 2014年4月5日、味の素ナショナルトレーニングセンターで開催された2014年アジア競技大会の日本代表選考会に出場し、代表選手に選出された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴木康弘 (ボクサー)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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